静岡で一番人気の観光地「久能山東照宮」。以前に「久能山東照宮(国宝)のパーフェクトガイド(歴史編)」を記事にしましたが、今回は実際に参拝する場合のガイドを書いていきますので、参拝される時の参考にしてください。
久能山東照宮への行き方は主に2種類
一番メジャーな久能山東照宮への入り方は日本平山頂からロープウェイにて下る方法です。
運賃は往復で大人1,100円、子供550円です。乗車時間はおよそ5分で社務所付近まで行くことができます。運行時間は平日が朝9時10分~16時まで、日曜・祝日が9時30分から16時15分まで(ともに夏季(4/1~10/15)は延長運転あり)なので、遅めに参拝される場合は、お帰りの時間に注意が必要です。
もう1つは久能の山下から階段を上って行く方法です。その場合は久能山東照宮までは1159段の階段を上る必要があります。地元では語呂合わせで「いちいちご苦労さん」と覚えます。
ちなみに、久能山東照宮でお仕事をされている神職の方々は毎日この階段を上り下りして通勤をされているとのこと。
歩いて上る場合はこの鳥居がスタート地点です。その脇にイチゴシーズンの週末に限ってオープンするお店がありまして、そちらは超おすすめです。
そちらの情報は「ゆみちゃんのいちごゼリー」で詳しく…
階段(909段(一の門まで))
最初のうちはなだらかな階段を上っていきます。ちなみに、この写真のあたりまでは車が通る場合があるので注意が必要です。でも、逆に言えばその程度の階段ということです。
階段を上っていると、途中にこんな表示が出てきます。これは今が階段の何段目かがわかるようになっています。909段まで登れば「一の門」で一段落なので、まずは909段を目指してください。
階段も途中からはつづら折りになってきて、この辺でかなりきつく感じてくるはずですが、もう少しですので頑張りましょう。
一の門
この一の門まで来たら909段上ったことになります。そしたら、一度振り返ってみてください。
この景色を見れば、それまでの疲れも吹き飛ぶんじゃないでしょうか?手前に見えるビニールハウスがほとんどがイチゴのハウスです。その奥に広がるのが駿河湾です。
門衛所
一の門を潜ると正面に見えるのが門衛所。ここは江戸時代に役人が詰めていて、用の無い人が入り込まないように見張っていた場所です。
そこから一の門越しに見る駿河湾も悪くないですよ。
勘助井戸
ここから階段を少し上がると右手に井戸があって、それが「勘助井戸」と呼ばれていて、武田信玄の軍師山本勘助が掘ったとされる33mの井戸が残っています。山本勘助はここから水が出るということを勘でわかっていたんでしょうね。
ちなみに、このあたりの話をもとに「ヤマ勘」という言葉が生まれたとか生まれなかったとか…。
ただ、武田信玄がここに久能山城を築城したのが1569年のこと。山本勘助が川中島で壮絶な討ち死にをしたのが1561年なので、本当に山本勘助が掘ったかどうかは微妙なところです。
その先博物館を右手に見ながら階段を上ると社務所が見えてきまして、ここからは拝観料(大人500円 小人200円<博物館は別途必要でセット券もあり>)が必要です。
ロープウェイ乗場もここにあります。ここから本殿まであと約80段!
拝観料を支払うとまずは階段の先に楼門が見えてきます。
楼門
楼門には後水皇天皇(ごみずのうてんのう)が掛かれた「東照大権現」の扁額が掲げられていて、潜る真上には獏(鉄や銅を食料とすることから平和の象徴と言われる)の彫刻があります。また、楼門手前には家康お手植えの家康梅もあります。
楼門を潜ったら、そのまま進まずにちょっと振り返ってみてください。
家康公38歳時の手形があります。当時、家康公は身長160cm、体重60kgだったと言われています。ちなみに、この手形は授与所にて頒布してますので、ご希望の方は声を掛けてみてください。
神厩
楼門の先左手にあるのが神厩です。家康の愛馬はここから毎日家康のお墓まで行っていたそうです。ある日戻らなかったので、神職が様子を見に行くと墓の脇で眠るように亡くなっていたとか。神馬は家康公によりそうように神廟裏手の石垣の南隅に埋葬されています。
その話を聞いた左甚五郎が作ったとされる、神馬が中に納められています。目に使用されているのは当時では珍しいガラス(ギヤマン)で作られています。
その先右手にはかつて鐘楼だったものが神仏分離で鼓楼として残っています。
五重塔跡
また、左手には家光が作らせたという高さ30mの五重塔があったのですが。こちらも神仏分離によって取り壊されました。今は跡地となっています。
唐門
灯篭の先に唐門、そしてその奥に権現造りの拝殿・石の間・本殿があります。
写真の階段を上って唐門を潜ることはできないので、右手に見える神庫から階段を上って、日枝神社を左に曲がり拝殿へと進みます。
この時に神庫の脇…というか裏手に神社にそぐわない「プラモデル」が展示されています。静岡というのは全国シェア90%というプラモデルの生産量を誇っています。それが全く家康公や東照宮と無関係ではないんですね。
家康は駿府城改修のために多くの職人を静岡に呼び寄せて、その多くは静岡に定住することになります。この久能山も1年7か月という短期間でこれだけのものを作り上げていますが、これもここ久能山で建築したものではなく、麓である程度部品を作って運び、久能山では組み立てるだけだったと言われています。言わばプラモデルの原点でもあるのが久能山東照宮なんです。
今でも駿河区にタミヤ、葵区にはアオシマ、バンダイ、焼津市にはハセガワというプラモデルメーカーがあります。
拝殿・石の間・本殿
いよいよ、久能山下から1192段の拝殿・石の間・本殿に到着です。こちらは国宝に指定されています。久能山東照宮は50年に1度塗り直しをしますが、2006年に塗り直しが行われていて、今でも極彩色豊かな社殿です。
ただ、海に近く潮風が当たる場所なので、色が褪せる前に拝観されることをおすすめします。
まず手前の拝殿ですが、こちらは人の世界を表します。そして、奥の本殿は同様に神の世界。その2つの世界をつなぐのが真ん中の石の間ということで、この造りを一般的に「権現造り」と言って、この久能山東照宮の拝殿・石の間・本殿が発祥になります。
名前の由来も、家康公が「東照大権現」となったことから「権現造り」という名前になりました。
逆さ葵の御紋
拝殿で本殿を見ると多くの「葵の御紋」があることに気が付きましたか?これはもちろん徳川家の家紋なのですが、上の写真を見てください。2段あるうちの中央の1つ。よく見ると…そう!大事な「葵の御紋」が逆さまに付いているんです。
これは間違って付けてしまったのではなく、意図的に逆さまにしているんです。というのも、建物というものは、完成させると、その時から崩壊が始まると考えらえています。建物を崩壊から守るにはどうしたらいいのか?それは、完成させないこと!という訳で、写真のように逆さに家紋を付けることによって、この権現造の建物は未完成の状態にしているのです。
この逆さ葵は本殿に向かって左側に3カ所。右側に1カ所あります。右側の1カ所は立ち入りができないので、ご神廟に向かう際に左側の3カ所を探してみてください。
その他にも唐門の下の参道もよく見てください。階段の幅に参道の幅が足りていません。
いよいよご神廟へ
ここまで建物は全て南西に向かって作られていて、参拝する人は北東の方角に向かって歩くことになります。その先にあるのは富士山の山頂、そして日光東照宮なんです。
さて、いよいよご神廟へと進みましょう。
ご神廟
忠実に階段を数えてきた方はお気づきかと思いますが。1159段は本殿がある場所までの段数で、そこからご神廟まではさらに40段の階段があります。
そして、本殿横の門から一度出て、改めてご神廟の門に入ったことに気が付きましたか?
東照宮は神社という格付けなんです。そして、神社は死のけがれを嫌い、人の死を扱うことはありません。それで、一度門で外に出て、改めて神廟の門をくぐるわけです。
ご神廟に入るとそこにも鳥居がありますが、それは家康公が東照大権現という神様になったことを表します。左右には各大名家からの石灯篭が並ぶ中を進みます。
ここで、床石を見てください。大きさがまちまちですよね。これは距離感を狂わせる効果が…そして、ご神廟前の階段をよく見ると、斜めに…そして、1段1段の高さが違います。これも錯覚を利用して、ご神廟に近づきにくくするためのトリックなんです。
そして、目の前には高さ5.5m。周囲8mのご神廟が目の前です。ここに家康公は立ったっま西の方角を向いて土葬されたと言われています。
右手の手水舎の奥には「金の成る木」がありますので、お帰りの前に触っていってください。そして、ご神廟の右奥には家康公の愛馬のお墓がひっそりとあります。
こちらにもお参りされることをおすすめします。
派手さは無いものの、荘厳な雰囲気と張り詰めた空気の中で今もそこにいらっしゃる家康公と対峙してみください。
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